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大坂漫遊 その14

各位
薩長土肥連合軍は鳥羽、伏見などの戦いで幕府軍を破り、ここに、260年続いた国事権を天皇に返還、大政奉還である。連合軍は、正式に天皇の軍隊、官軍と称することとなった。破竹の勢いで江戸に迫った官軍は、なぜか、ここにとどまり、最高司令官の西郷と勝の会談になり、江戸城の無血開城となった。どうして西郷は戦闘をやめたのか、私なりに考えると、すでに大政奉還は成立、これ以上無駄な血を流したくなかったのか。どうもそうではなさそうである。江戸城を責めれば徳川軍は藩の存亡がかかるので、大乱闘になる、それに市街戦では、新式銃砲は海上、山野ほどの威力を発揮できない、そして、京都と違い、中部、関東は徳川親藩がほとんどである。戦っているうちに、後ろから責められることも考えられる。それに、薩摩は勤皇佐幕を唱えていたので、それほど、幕府に恨みはない。一方、長州は恨み骨髄であった。しかし、官軍は完全に薩摩が掌握していたので、無血開城が成立したのである。その代わり、会津を先頭の奥州軍を、無理やり戦闘に巻き込んでしまったのである。これで終わりかと思ったら、幕府敗残兵たちが蝦夷の五稜郭に新しい国を作るとのことで、とどまってしまった。これは簡単に始末できると思ったのだが、意外と手間がかかった。これは、幕府の軛がなくなり、彼らも新式銃砲を手にすることができたからである。しかし、本土を完全掌握してしまった官軍はいくらでも兵力をつぎ込むことができたので、ついに日本全国を手にすることができたのである。ここで260年続いた幕藩体制は完全に崩壊し、明治政府ができるのである。新政府の要人たちは、新しい政府をどのように作るかを考えるために欧米諸国を外遊、これらの国々の人々が自由、闊達、生き生きと生活をしているのを見て、ビックリ。このため、四民平等、廃藩置県、廃刀令などを公布することになるのである。しかし、これは一面だけで、欧米国は世界中に植民地を持ち、ただ同然に物品を手にし、それを自国や他の国々に売っていたからということもあったのである。実は、これらのことも知っていたのかもしれない。最近は、日本も世界も歴史を見直すことがはやっている。我々が知っている歴史は後世の人たちが自分たちに都合の良いことを書いたからだとされている。良い例が〝元寇の役”である。神風が吹いて日本を勝利に結びつけているが、全くの嘘である。後世になり、神官や僧侶たちが都合のいいように書いただけで、戦った武士たちはそんなことは全く書いていないのである。
   そして、明治維新も同様のようだ。幕藩体制は一流国、明治維新は三流国とかかれてる本が今や、多くの人たちに読まれているのである。結果を見ればその通りである。幕府時代260年の間、戦争は一度も起きていないが、明治以後100年で日本人数百万、他国の人たちをその倍くらい殺しているのだから。なぜこんなことになったかはいろいろ言われているが、明治政府は薩摩ではなく、長州が支配していたからだともいわれている。何しろ、長州は松下村塾で今のIS国(イスラム)と同じで、テロリズムを教えていたのだそうだ。彼らが天皇を前面に立てやりたい放題のことをやったからだそうだ。にわかには信じられないが、そうゆう面もあったのだろう。
    そして、1000年の間日本の経済、物流の中心地であった大阪も最大の顧客である、藩、武士が居なくなってしまったので、終末を迎えることになる。大阪商人たちが貸していた膨大な金はどうなるかは来月といらしましょう。
                     



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この神社は逗子の中央にあります亀ヶ岡神社です。鎌倉の鶴が岡とは全く関係ないことを写真に写っている男が説明しているところです。   阿部 弘






















































































































































  







by hiabe | 2017-02-28 11:11 | 日本